2日目
(エジンバラ〜Stアンドリュース)

ユーロスター。 電車とホームの間がすごく開いてる・・・・。
いよいよイギリスともお別れである。 今日は有名なユーロスターに乗って英仏海峡を渡り、松千代も初体験のフランス・パリへ行くのである。
昨日の地獄のような一日はすっかり忘れ、気分はうきうきである。

松千代達が予約しているユーロスターは午前9時10分発で、ロンドンのウォータールー駅(これは英語読みであり、フランス語読みはワーテルロー、つまりナポレオン軍を破ったワーテルローの戦いに記念して建てられた駅)から発車するのである。 
出国審査等もあるので、最低でも発車30分前にはチェックインしなければならないので、8時にはホテルをチェックアウトする。 不味いホテルの朝食は敬遠し、駅でサンドゥイッチを買って食べることにする。
ホテルからウォータールー駅まではタクシーで20分程である。
 「もっとロンドン市内を観光したかったな〜。」などと考えながら外の景色を見ていた。
松千代的にはロンドン塔、あと敬愛する故フレディーマーキュリーの豪邸も見に行きたかった。 まあ、仕事で会社の金で来たのだから仕方ないか。

ウォータールー駅でチェックインを済まし、出国ゲートへ行く。 ちょうど空港のように出国カウンターがあり、手荷物と身体検査もあった。
それを済まし、売店でサンドゥイッチを買い込み、ホームへのゲートが開くのを待つ間に腹に放り込む。 ここ数日朝はサンドゥイッチとコーヒー続きなので少々飽き気味である。
スコットランドでの朝食が恋しい松千代であった。

出発15分前くらいになってやっとゲートが開いた。 長いエスカレータを登って行くとホームにやっとユーロスターの雄姿が見えた。 
ホームに上がってまず驚いたのは、ホームと電車の間の隙間である。
どう見ても50cm以上は開いている
(上の写真参照)
これじゃ、小さい子供は落ちてしまうな〜などと考えていたら、乗り込もうとしていた若い女性がジャケットを落としてしまい、必死に駅員を探していた。

車内に入ると別段豪華でもなく、ただ普通の特急列車という感じ。 しかし、驚いたのがその席の向きである。 席の向きはなんと

列車の半分が前向きで、半分が後ろ向き

となっていた。 もちろん日本の電車のように回転式ではなく固定式である。
つまり、半分の乗客は常に逆向きになるということである。
シートに座った時はどっちに動き出すのか分からなかったが、走り出してすぐ気が付いた。

逆向きじゃん。

パリまでの約4時間、逆向きシートと、前に座ったイギリス人の団体旅行者の大騒ぎにウンザリしながらの列車の旅でした。 特にこの団体、異常に五月蝿く、馬鹿騒ぎはするは、シャンパンはあたりにぶちまけるわで、途中他の客にうるさいと怒鳴られながらも最後まで騒ぎつづけたその根性はまさに大英帝国の誇りである。
英仏海峡トンネルは、20分位で通過し、いつの間にか入っていつの間にか抜けていたという感じだった。 一応簡単な車内アナウンスはあったけど。

フランス側に抜けてもほとんど外の田園風景はイギリスと変わらないので、あまりフランスに入ったという実感はない。 ただ、ノルマンディー地方を走っているので、ふと映画の「プライベートライアン」や、「史上最大の作戦」を思い出し、こんなのどかな田園風景の中で激しい戦闘があったのかと思うと感慨深い。

パリのノル駅にユーロスターは到着し、松千代達も荷物を持って列車を降りる。 
最後に駅員にフランス語で文句(多分、早くホームから出て行けと言われた)を言われながら、ユーロスターの雄姿をカメラに収める。


駅のホーム(イギリス側)

ユーロスターの雄姿

パリのノル駅
ノル駅からホテルは歩いて20分程のところにある。 フランスでは3人以上は基本的にタクシーに乗れない。 乗る場合は運転手と交渉する必要があり、乗れた場合もエクストラ料金をチャージされるということと、英語が喋れない運ちゃんが結構いると聞いていたので、迷わず荷物をもって20分歩くことにする。
ロンドンとはまた一味ちがった町並みのパリを歩くのもなかなか楽しい。 ロンドンと大きく異なるのはなんといっても女性が綺麗である。 同じ白人でもフランス人の方が小作りで、日本人好みする人が多いと思う。

なんとかホテルに到着し、チェックインをするために、松千代が得意のフランス語でフロントクラークに話し掛ける。

「英語しゃべれますか?」

実は松千代はアメリカの大学時代にフランス語のコースをとっていたのだが、なにぶん10年以上前のことなので、ほとんど忘れてしまっていた。
もちろん彼女は英語が理解できたので問題はなかった。 しかし、時間が早すぎてチェックインが出来ないので、荷物をロッカーに預けパリ市内の観光に行くことにする。

荷物を預け、ホテルの外に出て、地図を見る。 凱旋門からシャンゼリゼ大通りを歩いて、ナポレオンの墓を見て、コンコルド広場を通って地下鉄に乗ってホテルに帰るというコースを設定し、とりあえず凱旋門に行くためにタクシーに乗ることにする。
ホテルの前のタクシー乗り場でタクシーに声をかけるが、英語が分からないようだ。 
このタクシーをパスし、後ろのタクシーに声をかけるが、こちらも駄目。
やはり、英語が分からない運ちゃんが多いというのは本当だったのか・・・・。
と半ば諦めながら、少し歩いていくと、再びタクシー乗り場があった。 三度目の正直で
声をかけてみると英語で返してきた。 4人だけどいいかい? と聞くと、エキストラでOKだとの返事なので、タクシーに乗り込む。 この運ちゃん、結構話し好きで、松千代が、

「英語がわからない運ちゃんが多くて困ったよ。」
と言うと、

「僕はパリ一番のタクシードライバーだから何だってOKさ。」

だって。

確かに運転の荒さはパリ一番かもしれないと思った。 この運ちゃんに限ったことではないのかもしれないが、とにかくパリは車の運転が荒い場所だ。 割り込みもすごいし、平気で3車線位一気に車線変更する。 車間距離もないに等しい。 
松千代がパリにいた一日の間に3件の追突事故を目撃した。 白バイも沢山走っていたが間の抜けた(ぱ〜ぷ〜ぱ〜ぷ〜っていう)サイレンの音に何故か笛を吹きながら走る姿はちょっと滑稽であった。

20分位タクシーに乗り、
凱旋門に到着する。
タクシーを降りるとみぞれ交じりの雨が降ってきた。気温は零度で、物凄く風が強い上横殴りの雨である。 売店で買った安物の傘は強風に煽られあっという間にゴミと化した。
イギリスでは終始天候に恵まれていただけに、観光目的の今日は残念である。


ゴミと化した傘

凱旋門

レリーフ

たまらず、雨宿りの為に凱旋門の下に向かう。 凱旋門は門の上に登ることが出来るそうだが、ちょうど工事中で登れないとのこと。 残念である。
門には様々なレリーフが書かれていたので、しばし見つめるが、何が書いてあるのかさっぱり解らない。

凱旋門から、シャンゼリゼ大通りに向かう。
雨のシャンゼリゼもなかなかいいな〜なんて歩いていると、前からいかにもボディビルダーと思われる、背はそんなに高くないが、物凄い筋肉をしたフランス人が歩いてきた。
彼はこの糞寒い横殴りの雨の中傘もささず、

薄いバギーパンツ、ゴールドジムのタンクトップに薄いジャケットの前を全開にして
歩いていた。

この天候の中、シャンゼリゼ大通りを雨にも負けず堂々とこのいでたちで歩く彼の姿を見て、日本は永遠にボディビルではヨーロッパ勢に勝てないなと確信した松千代であった。

薄笑いを浮かべて通り過ぎる彼の背中には湯気が立っていた・・・・・・・。凄い、凄すぎる。  

シャンゼリゼでは終始お土産を買って廻った。 
どこに行っても日本人だらけなのは驚いた。 まるで表参道にいるような錯覚を受けた。


凱旋門からシャンゼリゼを望む

ドゴール将軍の像

次の目的地は、シャンゼリゼから少し離れ、セーヌ川を渡ったところにある、ナポレオン皇帝の霊廟、
アンヴァリットである。
シャンゼリゼ大通りを離れ、セーヌ川に架かっている豪華な装飾の付いた橋を渡ると正面にアンヴァリットが見えてきた・


セーヌに架かる橋

アンヴァリット
如何にもフランスらしい建物の向こうに金色に輝く塔が見えている。 あの黄金の塔の下にナポレオンの棺が安置されている。
アンヴァリットは、戦争博物館も兼ねていて、入り口で博物館と霊廟への入館料を払いチケットをもらった。 天気が悪いせいなのか、はたまた平日のためなのか人は非常に少なく、寂しい感じだった。 館内にはいると、特に目に付くのがそこかしこに大量に置かれている大砲である。 以前は軍の兵器庫だったとのことなので納得である。
また、ガイドブックには、この兵器庫の武器を市民が奪って、かの有名なバスチーユ監獄の襲撃をおこなったと書いてあった。

大砲が大量に陳列してある廊下を通り抜け、土産物屋とカフェテリアを抜けて一度外に出る。そこからナポレオンの霊廟の尖塔の正面に廻って、中に入る。

中は薄暗く、大きな寺院のような造りになっていた。 壁や天井には美しい装飾が施されていて、特に天井の装飾は光り輝いていてとても綺麗である。
その天井の真下に大きな円形の穴が開いていて、覗くと下に大きな大理石製の棺桶が展示してあった。 この棺桶、石造りの上、とにかくデカイ。 多分6畳一間くらいの容積はあるだろうと思われる。 さすが皇帝の棺桶である。
奥に階段があり、下に降りられるようになっているので、下に降りると棺のすぐ横まで行けるようになっていた。
さすがにフランスの英雄、ナポレオンだけあってこの場所は人々で混んでいた。
この中にナポレオンが入っていると思うとなんだか感動もんである。
松千代も彼の御威光にあやかりたく、彼のご冥福を祈ると共に、記念のメダルを2ユーロで買った。

写真撮影とビデオ撮影はOKなので、写真を撮ってみるが、松千代の小型デジカメのフラッシュの光量ではほとんど映らなかった。 (一応載せときます)


霊廟の天井

棺桶(わかるかな?)

霊廟を出て、博物館に戻る。 そろそろおなかが空いてきたので、途中あったカフェテリアで遅い昼食を食べることにする。 
松千代はサラダと巨大なホットドック、あとデザートのムースを食べた。 特にこのムースが美味しかった。 さすがフランス、お菓子類は美味しい。

食事を終えてアンヴァリットを後にすると、外はすっかり暗くなっていた。
通りをシャンゼリゼに向かって歩いてふと後ろを振り返るとアンヴァリットが夕闇に輝いていた。 あまりに綺麗だったので写真をとり、セーヌ川を渡ってシャンゼリゼに戻る。 
雨はすっかり上がっていた。
セーヌ川を渡る橋の上で、左横を見ると、来るときは雲に隠れていたエッフェル塔がはっきりと見えた。 エッフェル塔は何故かピカピカと全体が眩く点滅していた。 これがなんとも品がなく、まるで繁華街のネオンのような光り方だったので、ちょっと可笑しかった。


夜のアンヴァリット

光る尖塔

そしてシャンゼリゼ大通りに戻ると、シャンゼリゼも思いっきり光り輝いていた。 クリスマス前だからこんなに光っているのか、それともいつも光っているのかはわからないが、光の帯びがコンコルド広場から凱旋門まで、一直線に綱がっている様は壮観である。 表参道も真っ青である。


輝くシャンゼリゼ

コンコルド広場より凱旋門方面を見る

シャンゼリゼを右に曲がり、少し歩くとかの有名な、コンコルド広場に着く。
コンコルド広場にはその象徴として、エジプトから持ってきたというオベリスクが真中に立っている。 この広場でルイ16世やマリーアントワネットがギロチンによって処刑されたのである。 

コンコルド広場

ルイ16世やマリーアントワネットの慰霊碑?みたいなものがあるらしいのだが、暗くて良く分かんなかった。

コンコルド広場から今度は有名な
オペラ座へ向かって歩いていく。
15分位歩くとオペラの交差点にさしかかり、オペラ座が照明に浮かび上がっていた。
松千代の好きな「クイーン」の名盤に「オペラ座の夜」というのがあって、当時小学生だった松千代はこのアルバムをそれこそ擦り切れるまで聞いていたものだ。 その当時の松千代にとってオペラ座というところは楽園のような響きを持っていて、とても行ってみたかった場所だったということを今目の前にして思い出した。 今こうしてオペラ座の前(しかも夜に)に立ってみると、廻りの喧騒もあってか、ちょっと想像していた感じとは違ったがまあ、満足。 とりあえず
オペラ座の夜の写真を撮った。

さすがに寒さと歩き疲れで、メンバーもへばってきたので、ここで歩きを止め、地下鉄に乗ってホテルに戻ることにする。 
路線図で乗る路線と方向を確認し、地下に降りる。 フランスの地下鉄は路線ごとに番号で分かれており、比較的簡単に乗れる。 
切符もほぼ市内は1ユーロ30セント(ちょっと覚えていないので不正確)で統一されており、買うのも簡単。 一応販売機もあるのだが、壊れているのが多く、またフランス人は機械が嫌いなのか窓口に行列を作っている。 松千代も最初販売機にチャレンジしたが、お金が入らなかったり、画面どおりに操作しても途中から進まなくなったりしたのでもっぱら窓口を利用した。
地下鉄が来て、乗り込むと車内でバイオリンを弾いているおっさんがいた。 弾き終わると相方のおばさんが帽子を持ってチップを集め始めた。 如何にもフランスっぽいな〜等と思いつつ、1曲、しかも途中からではチップを払うのはどうかと思い、もう1曲弾いたら払ってやろうと思っていたら、弾かずに電車を降りていってしまった。 まあ、いいか。


夢のオペラ座

パリの地下鉄

地下鉄路線図
地下鉄を降りて、ホテルへ戻る。 来たときには気づかなかったが、ホテルの前になんと日本食レストランがあるではないか。 しかも名前が
「やまだ」
だって。
如何にも怪しい。

が、しかし日本食に飢えていた松千代一行は、今夜の夕食は「やまだ」ということで満場一致し、一度ホテルで休んだ後、レストランに入る。
店内に入ると、一見して日本人とは思えないアジア系のウェイターが、

「コンバンハ、スシ、ヤキトリ、サシミ、ミソシル、ドウゾ!」

と大声で叫んできた。
メンバーの一人が試しに日本語で話し掛けてみたが、
全く理解できないようだ。 英語は少し出来るようだった。
これは失敗したかと思ったが、仕方ないので、松千代が英語と不慣れなフランス語を駆使して注文をした。
松千代は、寿司やサシミを食べる勇気はなかったので、ヤキトリのセットを頼んだ。 他のメンバーは果敢に刺身や寿司に挑戦する。

ところが意外なことに、ここのヤキトリは非常に美味しかった。 日本で食べるどこのヤキトリ屋よりも美味しかった位だ。 ヤキトリなのに何故か牛やチーズフォンデュも混ざっていたがそのどれもが物凄く美味しくって、しかも大きくって松千代は追加で何本も注文してしまった。
また、サシミや寿司も日本の回転寿司よりは上等で、かなり食えるとのこと。
松千代も手巻き寿司を2本追加して頼んでしまった。
そんなこんなで、とても満足した夕食となりました。
やまだ。 あなどれない・・・・・


ちなみに翌日の昼食もここで食べることになった松千代一行でした。

翌日はいよいよ帰国の日である。 飛行機は夕方4時20分の便なので、午前中は観光をして午後に空港へ移動という予定である。