2日目
(エジンバラ〜Stアンドリュース)
さて、今日で今回の研修旅行はおしまいである。
色々と大変であったが、総じて楽しかったし、良い経験もさせて貰った。

さて、最終日。 今日は、午前中の少ない時間を使ってパリ市内観光をして、遅くとも午後1時にはホテルを出て空港に向かわなければならない。
昨夜に地図を見て色々と考えた結果、
シテ島にある、ノートルダム寺院コンセルジュリーを見学することにした。 「パリはシテ島から始まった」と言われるので、シテ島に行かずしてパリ観光は成り立たないと考えてのコースである。

当日は観光が午前中に限定されるので、朝7時に起床し、ホテルで朝食を食べた。 朝食はフランスのトラディッショナルな物で、チーズやハムとクロワッサンとカフェオレの簡単なものだった。 でも、ハムもチーズもクロワッサンも結構美味しくて、朝から豚のように食べまくってしまった。

朝食を食べ、8時にホテルを出て、シテ島に向けて散歩がてら歩いていく。 今日は昨日と違って比較的いい天気で、歩くのも楽である。

パリの町を歩いていると、日本のように大型のスクーターを良く目にする。 ただ、日本と違うのは、ほとんどのスクーターがハンドルカバーと、日本では見たこともない、ライダーの腰まで覆うカバーのような物(写真参照)を付けていた。 
これは、普段通勤でスクーターを愛用している松千代にも非常に魅力的なもので、冬や雨が多い季節には非常に良いのではないかと思った。 これがあれば冬暖かいし、どんなに凄い雨でも、防水ジャケットだけで、下半身も靴も濡れない。 輸入して日本で売ってやろうかなんてね。

カバーです。

地図を見ながら、シテ島に向けて歩いていくと、凱旋門が見えてきた。 一般的に有名なシャンゼリゼ大通りの端にあるデカイやつではなく、だいぶ小さめの門である。 聞くとパリには昔の主要な通りには凱旋門があるらしい。 これもその一つのようだ。

凱旋門(小)

凱旋門を抜けてさらに20分程歩くとセーヌ川にかかる橋についた。この橋を渡るとシテ島である。 

シテ島に渡り、とりあえず超有名な観光名所である、
ノートルダム寺院に行く。 
平日なので、あまり人はいないが、それでも中に入るには行列にならばなければならない状態だったので、寺院の正面前で記念写真を撮ってコンセルジュリーへ移動することにする。

ノートルダム寺院
コンセルジュリーはフランスの最高裁判所の隣にあり、要は監獄博物館である。
裁判所の隣が死刑囚の監獄で、そこから処刑場(民衆が集まる広場)まで引っ張っていって処刑するという、非常に流れ作業的な処刑システムが伺える。
ちなみに過去ここで収容されギロチンにかけられた人は2700名にも及ぶらしい。 
館内にはこの2700名の名前が四方の壁に書かれた部屋がある。
有名どころでは、マリーアントワネットやロベスピエール等も処刑の前日までここに収監されたらしい。
中は大食堂の跡や当時の監房を再現した展示などであるが、特に見所なのは、マリーアントワネットが死の前日まで収監されていた部屋で、マネキンを使って当時の様子が再現されている。 

最高裁判所の正面

コンセルジュリーの中
コンセルジュリーをゆっくり見て廻って、外にでるともう11時近かった。 時間的にこれ以上は観光はできないので、シテ島の地下鉄の駅からホテルの近くの駅まで地下鉄で戻る。

11時半にホテルに戻ってきたが、ふと前日食べた日本食レストラン
「やまだ」を見ると、ランチタイムで営業しているようなので、昼飯もここで済ますことにする。

ランチを済ませ、ホテルで荷物を受け取りノル駅まで歩いていく。 シャルルドゴール国際空港へは、ノル駅から
RER(郊外高速鉄道)に乗って行くのである。

このRER,ガイドブックによるとあまり安全ではないらしく、夜中の地下鉄とRERは一人では乗らないほうが良いなんてことが書いてあったが、地下鉄に関してはそんなに危険な感じはしなかったが、RERは確かにちょっと一人では乗らないほうが良いかもしれない。

RERのホームに降りるとそこはさしずめ昔のニューヨークの地下鉄のような感じで、あちこちに落書きがしてあり、ホームに待っている人達も有色人種が多く、いままでのパリとはちょっと違った雰囲気を感じた。 このRERはどうやら郊外とパリ市内を結ぶ電車のようだが、パリ市内は非常に家賃が高いので、生活水準の低い人達は郊外に住んでいる為、この電車を良く利用するようだ。 電車が来て乗り込むが、混雑している上、でかいスーツケースを持った松千代一行はかなりひんしゅく者だったかもしれない。
しかし、そこには更に廻りにひんしゅくを買っていた2人のアメリカ人旅行者らしい女の子がいた。  彼女達はすし詰め状態にも関わらず、巨大な荷物と共に電車の通路の真中に座って
大声で話をしていた。 たぶんノル駅で混雑する前から乗っていたのだと思うが、混雑してきたにも関わらず、我関せずという態度で喋りつづけていた。 その英語の発音とがさつな態度から、アメリカ娘と直感した。 
周りにいた黒人の老婆は、フランス語で何か文句を言ったみたいだが、完全無視。 松千代の隣にいた、一見すると英国紳士のような2人組みの旅行者も呆れ顔で見つめていた。

何駅か過ぎて乗客がかなり降りたので、電車はかなり空いてきた。 床に居座っていたアメリカ娘も、席が空いたので、荷物をズルズルと引きずりながら席に移動していった。 その態度がいかにもアメリカ娘っぽかったので、笑ってしまった。

何駅か目に停車すると、外から勢い良く、いかにも不良少年グループっていう感じの少年の一団が乗り込んできた。 彼らの一人は物怖じもせず、松千代一行のうちの一人のスーツケースの上に腰掛けてきて、フランス語で何か話し掛けてきた。 他の少年達はなにやら乗客を物色しているような感じで車内を見回している。 松千代は、スーツケースに腰掛けてしきりに話し掛けてくる少年に、フランス語は解らない。 英語は話せるか?と下手なフランス語言うと、グループの一人が、俺は解るよと英語で言った。 彼らは松千代達が中国人と思ったらしく、松千代が日本人だと伝えると何故か驚いた様子で、スーツケースに座っている少年を
どかしてスーツケースの上を手で綺麗に払うしぐさをした。 どうやら彼らは中国人を馬鹿にしているらしい。 

少ししてシャルルドゴール国際空港に到着し電車を降りた。 例の不良少年達は、駅の柱に隠れながら改札口に近づき、一気に走って改札を飛び越えていった。 どうやら無賃乗車の常習のようだった。
彼らのような少年グループが無賃乗車で国際空港に何をしに来るのかはだいたい察しがつくが、改めて海外旅行先では荷物等には十分注意していないと駄目だなと思い知らされたのであった。

空港ではチェックインを済ませると、早速免税店でお土産の総仕上げの買い物である。    松千代は、高級コニャック3本や奥方様へのお土産を含め、なんと7万ちかくも一気に使ってしまった。

出発時間が迫ってきたので飛行機の搭乗口へ行くとなんと天候不良のため一時間遅れるとのことであった。 外を見てみると確かに霧がかなり出てきていた。 待っている間は暇だったので、広くて綺麗なシャルルドゴール空港のターミナルを写真に撮ったりして過ごした。

空港でくつろぐ松千代

空港ターミナル

空港ターミナル

霧が出てる・・。

やっと搭乗手続きが開始され、飛行機に乗り込む。 席はジャンボの2階席で、松千代は初めて2階席に座れたのでちょっと嬉しかった。 
が、しかしその喜びもつかの間、最悪の現実に直面するのであった。

どうやら2階席は70名の日本人の団体観光客の貸切状態で、ポツンポツンと空いた場所に松千代一行が嵌め込まれる形であった。 しかも、
松千代の隣の老夫婦は思いっきり席番号を間違って座っていて、本来そこに座るべき人達となにやら揉めていた。 添乗員が来て最終的には収まったが、通路側の席だった松千代は飛行機が動き出す直前まで、席に座れず立ったままだった。 その上、通路を挟んで左となりの若い女性は旅行中に風邪をこじらせた挙句、気分が悪く今にも吐きそうな状態で、その女性の咳と、物凄く頻繁に行くトイレ、またその女性の隣の母親とその女性の口喧嘩等で五月蝿くって眠れなかった。 
更に、頼みの綱の映画のプログラムを見ると、

行きと全く一緒じゃねーかよ・・・・・・。

結局「パイレーツ オブ カリビアン」「釣りバカ日誌」なんか5回も見ちまったよ。


このように最後の最後で地獄のような11時間を過ごし、やっと日本に帰りついたのである。



今回の旅行は、会社の命令で行かされたものだったが、それなりに楽しくって、やっぱり行って良かった。 でも次回は是非家族と一緒に観光オンリーで行きたいと思う。 
まあ、宝くじでもあたらないと無理だけどね。