直線上に配置

黒川金山(黒川千軒、坑道跡)探索

平成15年9月16日、かねてより一度訪れてみたかった黒川金山跡への登山を決行することにした。 黒川金山とは、かの有名な松千代の祖先(嘘)である武田信玄公の時代の隠し金山であり、深い山間の谷には大規模な鉱山夫達の隠れ里があり、これを黒川千軒と呼んだ。今から400年余り前の話では有るが、なんとこれらの遺構が今なお残っているという話を聞き、これは行くしかないと常々思っていたのである。 黒川金山は、大菩薩峠の隣に位置する、鶏冠山(1710m)の懐にあるらしいので、自前にネットにて金山跡の場所や登山口等を調べ決行1週間前にバイクにて実際に登山道の入り口まで行き場所を確認する等、周到な準備を整えた後、一人では等出ると怖いので71歳になる父親を誘いいざ出発。 
家を朝8時に出発し、途中の渋滞もあって登山口の入り口である、三條河原についたのが10時半であった。 

三條河原の林道標識
登山にはいささか遅い出発時間ではあるが、目的地まで地図上の直線距離にして3km程なので問題はないはずであった。
さて新三條大橋を渡ったところに、林道泉水横手山線の立派な標識があり、その手前に車を駐車し、登山開始。
最初の道は林道標識の向かって右手に川沿いに伸びている林道を登っていく。
この道は最初は緩い登りで比較的歩きやすいが、だんだんと木々鬱蒼となり、道も倒木や土砂崩れなどがかなりあり、また、登るに従って右側の遥か下方に川が流れる、100m位ありそうな断崖絶壁となる。 

最初の登山道にて

黒川谷出合の滝と親父
0分程歩くと突然目の前に滝が現れ、手前に木製の今にも壊れそうな橋が架かっていた。ここが黒川谷出合である。谷川は水量が豊富で良く滝壷のあたりをみると岩魚かヤマメのような魚が泳いでいた。コケで滑りやすい橋を渡って滝の冷たい水で顔を洗った後、出発。ここからは滝沿いに少し上った後、山の急斜面をジグザグに登る道をひたすら登っていく。 倒木やくもの巣が多く、あまり人は使っていない道のようだ。 いかにもなんか出そうな雰囲気なので親父が鈴を取り出し杖につけた。 さすが親父、熊は任せたよ。 
約50分程汗まみれになって急斜面を登っていくと、藤尾方面からの登山道への分岐点に到着する。 古ぼけた標識の左手の登山道を歩いていく。この道は緩やかなアップダウンを繰り返しながら、少しずつ黒川谷へ近づいて行く。 途中、倒木や土砂崩れの跡などを避けながら30分程歩くと周りに大きな岩場がゴロゴロしだし、なにやら坑道の跡らしき穴もあいている。 遥か下方にあった沢もすぐ下まで近づいてきた。 いよいよ黒川谷に近づいてきたたようだ。 

藤尾分岐の標識

登山道にて
倒木と親父

坑道跡

テラス
沢がどんどん近づいてきて、沢を渡り、少し行くと突然目の前が開け、谷を塞ぐような形の巨大な岩があった。 どうやら谷の左遥か上方の斜面から転げ落ちてきたようだ。その岩の横を通り、沢沿いに登っていくと、まわりにちらほら石垣らしきものが現れてきた。 これはテラスと呼ばれるもので、その上に家や作業場等が建っていたそうだ。
さらに奥に行くと右側に大きな岩があり、そこに
坑道跡がポッカリと暗い穴を開けていた。 中は半分以上崩れた土砂で埋まっていて入ることは出来ない。 そしてその先に一際広いテラスが現れた。ネットで調べたところ、ここが黒川千軒の中心部、「番兵小屋跡」のテラスらしい。 時計をみると午後1時になっていたのでこのテラスで昼食とする。 ここまで約2時間半の道のりであった。 
昼食を食べながら中世の遺構を見ると、ふと400年前のことを考えてみた。 400年前ここには賑やかな鉱山街があり、そこには戦争に負け信州から連れてこられた人たちが奴隷のごとくこき使われ、そして二度と故郷へ帰ることなく死んでいったことだろう。 彼らが命に代えて掘り出した金は甲洲金として武田信玄の躍進の原動力となった。 今は朽ち果てた遺構が悲しい過去を物語るだけである。 その遺構も近い将来土に返ることだろう。 

木の橋と親父
さて、実はここが今回のゴールではない。 今回の旅の最大の目玉は人間が入ることのできる、黒川金山最大の坑道跡である。昼食を食べた後、その坑道跡に向けて出発する。 番兵小屋跡のテラスの先に沢を渡る苔むした橋がある。 その橋の手前に「黒川金山循環路」と書かれた標識があるので、その標識のところの斜面を登っていく。 循環路なので橋を渡っても坑道跡には行けるらしいが、こちらの道の方が斜度が少なく比較的楽らしい。
斜度が少ないといってもかなりきつい道を、斜面のテラス群を縫うように登っていく。 黒川千軒は、沢沿いに幅約300m、長さ約600mにわたって家や作業場などが無数に建っていたらしいので、かなり登ってもテラスが出現する。 ある程度登ると、道は水平になり、鶏冠山山頂を巻くように進んでいく。 約30分程歩くと突然目の前が広く開け、巨大な岩に大きな坑道が開いていた。 とうとう目的である坑道跡に到着した。時間は2時であった。 入り口には柵があるが、鍵はかかっていないので中に入ってみた。 木の柵は壊せば入れそうであったが、そこまでするのもなんなんで隙間からカメラを入れて中の写真を撮って満足しました。


坑道跡

柵を開けたところ

坑道の中

その2

山頂の岩場と親父
最後に親父の希望で、せっかくここまで来たのだから鶏冠山の山頂まで行くことにして坑道跡を後にする。 ここから鶏冠山の頂上までは、さらに山を巻くように進み、金山のある東の斜面から西の斜面へ出る必要がある。10分程歩くと、金山循環道と山頂への登山道の分岐、ノゾキノタワへ付き、そこから山頂を目指す。更に20分程歩くと柳沢峠から来る正規?の登山道に合流し、そこからは綺麗に石垣で固められた登山道を登っていく。かなり急な斜面をつづら折に登っていくと約40分で山頂に到着した。 時間は3時10分位だった。
さて、山の日の暮れるのは早いので、早々に山頂を立ち去ることにする。
時間は3時20分になるところで、ここから来た道を戻ることにする。 途中ノゾキノタワで循環道に入って来た道の反対側の道を行くと、かなり急な下り坂となり、夢中になって下っていくと、昼食を食べたところに架かっていた木製の橋の渡った側に出た。
やっぱり循環路だったようだ。
ここから単純に来た道を戻っていったが、日の暮れるのは結構早く、あっという間に周りが暗くなってきた。
ペースを上げようにも、71歳の親父がバテ気味でゆっくりと降りていった。 なんとか黒川谷の出合についた時には5時をまわっていてあたりはかなり暗くなっていた。
 

滝の前の木の橋に立つ松千代。
最初の方の滝の写真と比べると暗さが良くわかる
今回の登山もいよいよ終わりに近づいてきた。 黒川谷出合から車の止めてある場所まで、緩やかな下り(しかし横は千尋の谷)をゆっくりと降りていくと20分程で車に到着。 10:30に出発して5時半に到着なので、7時間の行程でした。 直線距離にして3kmで標高差約950m、つまり平均斜度約30%。 71歳の親父、良く頑張った。 まだまだ現役だね! 最後はおきまりの温泉で締めくくる予定だったが、日帰り温泉場はどこも6時で入館終わりとのことなので、タッチの差で間に合わなかった。 残念。

※ 今回の登山では、人っ子一人会わなかった。 それもそのはず今回の金山へのルートはどうやら裏道らしく、一般の人は柳沢峠からの登山道を使うそうだ。
地図はこちら→



                      
直線上に配置