直線上に配置
ハスラーで行く
奥多摩廃墟探訪
平成16年5月16日(日)
今回は久しぶりにセカンドマシンのハスラー50でのツーリングである。 場所は、以前にTVで仙人が住んでいると特集されていた場所で、そこには昭和30年代頃まで栄えていた鉱山集落の廃墟が山の中にひっそりとたたずみ、無に帰るのを静かに待っている。

そんな場所へもちろん一人で行くほどの勇気は松千代にはないので、今回は
廃墟探索のスペシャリストである幼馴染のG(毎回登場)にガイドを頼んだ。

さて、本来ならば、朝5時頃出発してゆっくりと探索をするつもりであったが、朝起きて外を見るとなんと雨が降っていた。 半ば諦めて布団に戻り、7時に再び起きて外を見てもまだ雨が降っている。 諦めて今日は寝坊を決め込み再び布団へ。
10時頃に起きて、外を見ると雨が上がっていた。 
10時なら急げばまだ間に合うと思い、急いで用意を整え、出発。
Gに行くぞとメールをすると、もう既に出発しているとのこと。
いつものことで、
嘘に決まっているので、焦らずに一路奥多摩を目指す。 

ハスラーなので、奥多摩の日原街道入り口に着いた時は2時間後であった。 Gはというと、練馬に住んでいる松千代よりも、30分以上奥多摩に近い、小平に住んでいて、松千代が出発する時には既に出ていたはずなのに、何故か30分以上松千代より遅れていた・・・・。
待つのも癪なので、ゆっくりと先に進むことにする。
日原街道を少し進むと、左側に吊り橋があり、吊り橋を超えると頭上にトロッコの鉄橋がある場所がある。 そこで止りGを待つことにする。 実はこの場所、松千代が若かりし頃の思い出の場所である。

吊り橋
もう昔のことなので話しても問題はないと思うが、今から18年位前、松千代は悪友5人と一緒に真夜中この鉱石運搬用のトロッコに乗ったことがある。 このトロッコに乗るには、もちろん道はなく、松千代達は、林道を使いトロッコの遥か上の山の斜面まで行き、そこから恐ろしく急な山の斜面を木に掴まりながら滑り降りて、トロッコの鉄橋に取り付いたのである。斜面の下はほぼ垂直な崖で渓流に落ち込んでいるので、 今から考えると怖いもの知らず、というかほとんどバカである。このトロッコ、下から見るとあまり大きく見えないが、実際に近くで見るとかなり大きいのである。 大人8人が中に入れるくらいの大きさがある。真夜中なのでケーブルで引っ張られて動くトロッコは止っていたのだが、 少しすると突然動き出したのである。 時速20kmくらいで、次々とトンネルから出てきてはこちらのトンネルに消えるトロッコを見ていると、トロッコに掴まって鉄橋を渡れるような気がして、早速松千代が実行に移した。  
時速20km位のスピードでも、いざ取り付こうとすると結構大変で、ともすれば後から来る巨大なトロッコに轢かれそうである。 しかもトロッコに取り付いて、鉄橋をわたったは良いが、すぐ飛び降りて逆方向のトロッコに掴まらないと物凄く狭いトンネルに入ってしまうし、モタモタしてると反対線のトロッコか後からくるトロッコに轢かれてしまう。 一瞬の判断力が必要な技で、後から考えると一つ間違えたらニュースを賑わす大事故になっていたかもしれない。 若いって恐ろしいことです。 結局この時は無事、元のみんながいる場所に戻ったが、松千代が2回目に乗って鉄橋を渡っている時に向かい側からヘルメットを被った鉱山の職員が同じようにトロッコに掴まってすれ違った。 もちろん、相手も松千代も幽霊でも見たかのように驚愕の表情でお互いに見つめあったことは言うまでもない。 結局全員とっ捕まり、トロッコの中に乗せられ、20分位で鉱山の事務所に連れて行かれ、コッテリと絞られた。 なんとか警察は勘弁してもらったが、今思うと良い思いでである。

トロッコの鉄橋を望む

河原から吊り橋を望む
さて、Gを待つのに時間つぶししなければならないので、河原に降りたり、吊り橋を渡ったり、吊り橋を渡ったところの崖の斜面でフリークライミングをしているのを見たりしてすごした。

吊り橋の上

フリークライマー

渓流の清流
ご小雨が降ったり止んだりしてる生憎の天気だったが、清流の流れを見たり、釣りをしている人をボーっと見ているとなんだか気が休まった。 30分位してようやくGが到着。 一路廃墟の鉱山集落へ向かう。鉱山集落はこの先からバイクも車も通れない山道をひたすら登っていくとあるらしい。 
バイクを山道の入り口へ止め、ここからは軽い登山である。
20〜30分程登り、息が切れ、汗が噴出すころに集落の入り口にある巨大なヒノキに到着。 そこから少し行くと集落がある。
集落の下には、現在も仙人のようなおじいちゃんが住んでいるので、五月蝿くしないように気をつけながら集落に入っていく。
この集落は、山の斜面にひな壇状に存在し、食堂、理容室、診療所、共同浴場、その他は鉱山で働く人の社宅で構成されていた。 現在はほとんどが、半壊か全壊状態で、ゆっくりと自然に帰ろうとしているようだ。家の中に散乱している新聞の日付を見ると、昭和30年であった。 古い懐かしいデザインの缶詰やジュース缶等も散乱していた。 しばし集落を散策し、雨が強くなってきたので、帰ることにする。

巨大ひのき

集落入り口

宿舎?

診療所

古いカレンダー
に帰りは結局かなり雨に降られてしまい、家についたころはびしょ濡れであった。 風邪を引かなければいいなと切に願う松千代であった。

トップ アイコンもどる

直線上に配置